キャノンボール・アダレイはリヴァーサイドの花形アーティストだったが
タレント・スカウターとしてもリヴァーサイドレーベルに貢献している。
その最大の成果がウェス・モンゴメリーの再デビューと言う事に
なるだろうが(ウェス・モンゴメリー・トリオ)、この好評がきっかけか
60年になると“キャノンボール・アダレイ・プレゼンテイション”
なるシリーズが始まり、キャノンボール・アダレイが見出した若手や
ローカル・プレイヤーが次々とリヴァーサイドからデビューした。
59年に結成されたマンジョーネ・ブラザーズも、60年にランドール・
アイランド・ジャズ祭に出演したところを彼に認められた。
本アルバムは彼らのファースト・アルバムだが、ピアノのギャップ・マンジョーネは22歳。
ディジー・ガレスピーから貰った朝顔が上を向いているトランペット("Up-do" trumpet)を吹く
チャック・マンジョーネはまだ19歳であった。
他のメンバーもまだ20代前半でジャズ・メッセンジャーズやホレス・シルヴァー
そしてもちろん、キャノンボール・アダレイへの憧れを隠そうとせず
ハードバップと言うフォーマットの中で存分に燃焼している。
チャック・マンジョーネは65年に“憧れの”ザ・ジャズ・メッセンジャーズに参加した。
Mangione Brothers / Jazz Brothers
ザ・ジャズ・ブラザーズ/ザ・マンジョーネ・ブラザーズ・セクステット
ザ・ジャズ・ブラザーズ/ザ・マンジョーネ・ブラザーズ・セクステットに加筆・修正を加え転載。
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